【その2】吃音症のこと(ぼくは吃音、ただそれだけ)
特別支援学校は、男性の先生が受け持ってくださいました。
男性の先生で、というのは長男の希望でした。「お母さん以外の女の人ちょっと緊張する」からだそうです(笑)希望を汲んでいただき感謝。
校門にはインターフォンがあり、普段通っている小学校名と氏名を伝え、開錠してもらいます。
そこから授業は始まります。
吃音の子にとって、「小学校名と氏名」を続けて言うのはハードルが高い時があります。慣れない場所なので、緊張もあいまって、吃音がさらに出ます。
大きな声で、ゆっくり、はっきり喋る。
その練習です。
門をくぐり、下駄箱で靴を履き替え、部屋に入ります。個人指導なので、先生とマンツーマン。母はここでお別れ、別室で待機します。
45分の授業が終わりチャイムが鳴ると、母も部屋に入り、その日学んだことや子どもの様子を先生から聞きます。
主には、こんな感じでした↓
・先生が「どもってもいいんだよ」という本の朗読をしてくれる。
・普段の生活で困っていることはないかなど話す。
・その子の特性に合わせて、スムーズな話し方を指導してくれ、課題が与えられる。
きこえとことばの教室は、吃音を治すことが目的ではありません。それは病院でしかできません。「吃音との付き合い方」「スムーズな話し方」を主に教えてくれる場所です。
例えば、
・ごめんなさい
・すみません
だと、「すみません」の方が言い易いんですよね。濁音は吃音症にとって、出だしのハードルが高くなる。「ご」で止まっちゃう。そういった生活面での工夫を教えてくれました。
この一連がね~、長男には全く響かなかったようです・・(汗)
通って3回目だったと思います。先生からこう言われました。
「とても稀なケースだと思います。
自分の吃音についてどう思っているか聞いたらこう答えましたよ。
”あの子は足が速い・あの子はメガネかけてる・あの子は牛乳が苦手・ぼくは吃音。ただそれだけ”
吃音を自分の特性・個性の一つとして捉えています。
ここにくる子は、吃音で困っていたり、友達にからかわれたりと、治したくて来ていますが、そうじゃない。自分の個性として捉えていて、困っている様子がないですね。
意地悪な質問もしてみました。誰かが吃音についてからかってきたらどうする?と聞いたら、
”うん、そうだよ。だからなに?”
って答えると言いました。
学芸会はきっかけになったかもしれませんが、子どもは過ぎたことはすぐ忘れます。また困ったと感じた時にいらっしゃったらいいかもしれません。
本人が治す気がないと、吃音は治っていかないですし、なにより立派に生きていけると思います。」
というわけで、通い始めて4回目で卒業しました。
だっふんだ!!
せっかく通い始めたんですから、悩みました。
本人が気にしていなくても、どうにかしてあげたい親心。
ここはもうしばらく通わせた方がいいのでは、、と沢山悩みましたが、本人の強い希望があり卒業しました。
「どもってもいいんだよ、っていう本を先生が読んでくれるけど、どもってもいいって当たり前じゃない?
だから、本を聞かせられても”当たり前じゃん”って思う。本の中に出てくる子はいつもいじめられているけど、堂々としてればいいのに。だから、本の時間、ちょっといや。」
と言われたのが一番大きかったです。
あぁ・・この子は、たくましく生きていけるかも・・・
と思いましたし、また困ったら寄り添えばいっか!と。
赤ちゃんのころから「大好きだよー!!!」と沢山伝えてきたことが、もしかしたら、自己肯定感に繋がっていたのかなと、自分の子育てを他でもない息子に認めてもらえたような気がして胸が熱くなりました。
~完結編に続く~